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村橋くん、ハイ! 最終回

2008年06月18日 02:59

     母の入院 


          3


 「あ!虹だ!虹が出てる!!」

 完璧なアーチを描いていました。生まれて初めて、本物の虹を見たのはこの時でした。

 「1・2・3・・・・あれ?六色しかないよ。虹って七色なんじゃないの?」

 「七色あるじゃん。一番外側に薄っすらさ、それで七色だろう」


 兄にそう言われても、僕にはよく七色目までは判りませんでした。

 でも、そんなのどうでも良かったんです。綺麗なものを見たな、ツイてるな、という感覚。ちょっと興奮しました。


 帰宅後、祖母も一緒に夕食を済ませた後、父がある提案をしました。

 「母ちゃんに手紙書くか!」

 そして、兄弟みんな、ちゃぶ台を囲んで、入院中の母宛てに手紙を書き始めました。

 「ねぇ、父ちゃん。なんて書けばいいの?」

 手紙なんて書くのに慣れていないもんだから、よく分からん!照れもあったんでしょうね。

 「そうだなぁ、『今日、お見舞いの帰りに、でっかい虹を見ました・・・』なんてどうだ?」と父。

 すると、兄弟揃って、まったく同じ文章をそのまんま書き始める。

 「おいおい、ちょっとは違うこと書けや。」

 「分かった。じゃあ俺、『でっかい虹』じゃなくて、『大きな虹』にしておく!」

 「じゃあ俺は、『綺麗な虹』にしておくわ」

 「じゃあ僕は・・・『生まれて初めて本物の虹を見ました』でいい?」


 変な兄弟・・・ 変な親子・・・

 『早くよくなってね』とか、ありきたりの言葉で手紙を書き終え、色鉛筆で虹の絵も添えて、手紙は父に預けました。

 
 間もなく退院した母は、家に着くなり、

 「手紙ありがとうね。ほんと、母ちゃん嬉しかった!」

 と、笑顔で、僕ら兄弟を安心させてくれました。

 翌朝は、台所からの音、茶の間で新聞を読む父、仏壇に手を合わせる祖母・・・

 まったく以前と変わらない、我が家の朝でした。








    ~エピローグ~


 私には大好きな曲があります。特にジャズに傾倒していたわけではありませんが、とにかく「名曲」だと思う曲。

 ルイ・アームストロングの、 『この素晴らしき世界』

    

     緑の木々に真っ赤な薔薇

     あなたと私の為 命を咲かせている

     なんて素晴らしき この世界

     紺碧の空に浮かぶ 白い雲

     晴れわたる光の昼 聖なる闇の夜

     なんて素晴らしき この世界


     七色の虹は空を彩り

     街行く人々の顔に降り注ぐ

     こんにちは!と握手を交わす友人たち

     皆が声を掛け合う  I love you

     
     赤ん坊が産声を上げた 元気に育つだろう

     幾つかの経験を重ね 親を超えていく

     今 私は感じる この素晴らしき世界を
 


 いろんな訳詞がありますが、これが一番しっくり来ます。 

 大切にすべきものは、まったくシンプルなもので、

 実は、それさえあれば、他に何もいらないんじゃないかと思わせてくれる、心を豊かにしてくれる、数少ない曲だと思います。

 美しいものを美しいと思えるか。そのカギは自分自身の中にあって、

 なにかに感謝している時の心の状態って、とっても豊かで、幸福感に満ちていて、

 幸せな人って、感謝できる人なのかなって・・・思うんです。


 30歳を過ぎて、ようやく感謝できること。やっと気付いたこと・・・

 まだ気付いてないこと。感謝すべきこと・・・





 ああ、まだまだ幸せになれる!





 

村橋くん、ハイ! 5

2008年06月11日 09:26

      母の入院


        2

 母のいる病院にお見舞いに行きました。

 田んぼ仕事でも使う、白い、軽のバンで、楽しいお出掛け。毎回恒例なのは、兄弟での助手席の取り合い。

 駐車場に車を入れるとき、『駐車券をお取りください。』なんてアナウンスを聞いて、「注射券」だと信じ込み、怯えていました。

 病院に入ると、ひんやりとしていて、薬剤の匂いに緊張しましたね。

 しかも、廊下は陽が当たらず、イメージですけど足音だけがコツコツ響く感じ。とっても無機質。

 母の病室は4人部屋くらいだったかな?ドアのすぐ脇に、知らない人の名札も掛かってました。

 病室に入ると、母は何やら他の患者さんとおしゃべりしてました。すぐに僕達に気づき、

 「おぉ~、来たねぇ!」

 と母は笑顔で迎えてくれました。

 「明日母ちゃん、お腹切るんだよ。おっかないねぇ~」

 あっけらかんと言う母に、僕ら兄弟は、ベッドを囲むように頬杖つきながら質問攻め。

 「血、いっぱい出るの?」

 「お腹切って、痛くないの?死んだりしないの?」

 「ねぇ、死ぬときって、目ぇ開けたまま死ぬの?」


 「何言ってるだ?馬鹿タレ!!」と父。

 「眠ってる間にやるからね、痛くないんだってよ~。お医者さんってすごいねぇ。」

 隣のベッドのおばさんが、

 「あら~、男の子ばっかり3人。可愛らしいわねぇ。」なんて。

 ほんわか、生気に満ちた病室でした。


 帰りに父は、今でいうフードコートに寄ってくれました。その名も、「長野アメ横 あおぞら」

 平屋というか、プレハブというか、テントというか、いろんな物が売られている施設の一角で、焼き鳥や、ソフトクリームや鯛焼き等も買えるエリアがありました。

 持ち帰りの焼き鳥を買い、しかもレバーをたっぷりと。大人の味が好きな、渋い子供達でしたね。

 さらに僕はアイスをねだったのですが、抹茶をメロンと間違えて指差し、食べてびっくり。

 大人の味が理解できず、泣き出す始末。

 この緑色の味はなんだ?メロンじゃなくて、何なんだ?こんな味の、緑色のアイスがあっていいものだろうか?

 兄達は、涼しい顔して、無難にバニラとチョコを食べてるんです。悲しいというか、悔しいというか・・・

 結局、父が抹茶アイスを平らげてくれました。それにしても父ちゃん、なんてアイスが似合わないんだろう。

 「遅くなると、ばあちゃん、おっかねぇから帰るでぇ!」

 泣いたからかな?奪い合うこともなく、すんなり助手席に乗れました。

 
 帰りの車内から、はっきりあるものが見えました。泣いた後、涙のせいなんかじゃない。

 「あっ!!虹だ!!!」

 





                           つづく  

 

 

村橋くん、ハイ! 4

2008年06月04日 02:26

      母の入院

   
        1

 母が入院することになった。

 それほど重い病気ではないそうなのですが、手術が必要だということで。

 そうなると、祖母は晩メシの準備に張り切り出すんです。

 「味噌汁はな、煮干しを入れなきゃ美味しくないの!」

 といいながら、イワシの煮干しをバキッバキッと折って、鍋に放り込む。

 まるで母の作り方が悪いかのような言い草。嫁と姑、対立してた(笑)。

 まあ、母はカツオ風味の『ほ○だし』かなんかを使うことが多かったのかな?どっちも好きですけどね。

 そう、それで、その煮干しは、そのまんま具としていただくんです。

 おやつでも、よく煮干し食べてましたから。

 そして献立のもう一品は、天ぷら。新聞紙で油切ってたなぁ。

 天つゆなんて洒落たものの準備はない。醤油を回しかけて食べるんです。悪くないですよ。

 さっそくひとつ、サツマイモ・・・美味い!

 もうひとつ!サツマイモ・・・  さらに!サツマイモ・・・

 ぜーんぶサツマイモ!!

 余って翌朝、味噌汁の具となる・・・天ぷらの衣が、これがいいんです。

 朝メシは、父が準備してくれました。イワシの干物。「メザシ」というやつです。

 朝食らしく、玉子も食べましたよ。玉子かけご飯。いやぁ、男の食卓!しびれるねぇ。

 ていうか、そんなにイワシばっか食べさせて、どうする気?子供の身体づくりというより、単純に父の好物だったみたいです。


 昼間は、近所のおばちゃん達が、祖母ちゃんの話し相手になりに、よく家に居てくれました。なんにもしてないのに、なんか褒められましたよ。

 「母ちゃんいなくて淋しくない?いい子で留守番えらいねぇ」なんて。


 ある日、父と兄弟三人で、母の居る病院まで、お見舞いに行くことになりました・・・








                        つづく

村橋くん、ハイ! 3

2008年05月28日 05:15

  

       カレーとお風呂
   
     
 僕は三人兄弟なので、幼いながらも気を遣った。

 例えば、カレーライスを食べる時。

 母は、「今日、辛口がいい?それとも甘口?」

 なんて聞いてくる。

 僕は、兄の顔色を窺う。

 「辛口~!辛口がいい!!」

 なんて、兄は言う。ホントは中辛がちょうどいいはずなのにね。

 僕は、まだ辛口が辛い(つらい)。

 しかし、この時点で、男である。

 「僕も辛口でいいよ。」

 なんて、余裕の表情を見せながら言ってみせる。

 結局、食べ切るが、普段お替わりをするカレーなのに、お替わりをせずに、夕食は終わる。

 そして、入浴タイム。

 父親、または祖父母が一番風呂に入るが、その理由は、さっさと就寝するから・・・

 特に封建的な家庭ではなかった。

 たまたま僕が一番風呂に入るタイミングになった。

 これが熱い!薪を焚いて沸かす風呂なもんだから、火を消すに消せない。

 消したらまた、ぬるくなった頃に火をおこさなくちゃいけないので、非常に不便。

 なので、これまた僕は我慢した。

 水を注ぐのもほどほどに、お湯を頭からかぶれればいいかなと・・・

 当時、シャワーなんかなかったもので・・・

 それでも、男なんです。意地でも湯舟に浸かって、100数えるつもりが40数えて出てしまう。

 肌は真っ赤。すっぽんぽんで、茶の間へ行きますと、母がこう言いました。

 「どうしたの?熱かった?水でうめればいいじゃない!!」

 男らしくない僕は、『全然熱くなんてないよ!』っていうのがかっこいいのかもしれないのですが、こう言うんです。
 
 「だって、あとから入る人が、ぬるいって思うかもしれないじゃん」 しかし、そこで父がこう言ってくれました。

 「偉い!
 
 ひと言。それだけかい!?

 でも、自然に涙が、流れはしませんでしたが、ウルウルでした。



 走ってコケて、痛くて泣くことしか知らなかったのですが、

 それ以外で涙が出るなんて・・・


 なんだったんでしょうね。一番近かったのは、嬉しかったっていう感覚かな。



 大切にすべきことが、強く焼きつけられた出来事。

 

 

 


 

 

村橋くん、ハイ! 2

2008年05月21日 10:08

      イナゴ


 僕の実家は、とても風通しが良く、今でもエアコンがありません。

 さすがに最近の夏は、日中は暑くてたまらない。温暖化ってやつですか?

 うちでは、米を作っていて、田んぼも近くにあります。

 夏の夜は窓を開けていると、田んぼから蛙の鳴き声が聞こえてきて、心地がいい。本当です。うるさいんじゃなくて、なんか落ち着きます。むしろ、田舎の静けさを強調しているくらい。のどかさっていうのかな?

 秋の収穫が近くなってくると、蛙ではなく、今度は『蝗(いなご)』なんです。

 食卓に並びます。甘辛く炒めて。いまや高級料理。栄養価も高いんですよぉ。

 家族みんなで捕るイナゴ。僕もたくさん捕りました。専用の袋がありましたもん。

 それも、布製で、袋の入り口には、トイレットペーパーの芯のような筒を付けてあるんですよ。なぜだかわかります?

 捕まえたイナゴを袋に入れる時、布だとイナゴの足がひっかかってしまうんですよ。逆に、一度袋に入ってしまえば、逃げられにくい。父親の知恵でしたね。

 布である理由はですね。捕まえたイナゴは生きたまま茹でたりもするんですが、布なら袋ごと茹でられますよね。ピョンピョン跳ねるイナゴをさ、いちいち袋から出してらんないわけよ。

 もっと言うと、一晩は殺さずに放っておいた。そうするとね、イナゴ達、糞を体外に出すじゃない。苦味が和らぐんですよ。コダワリの下ごしらえ。

 「もおらしい(可哀そうという意味の方言)!」なんて言いながら、母親が美味しく調理してくれました。

 いつかね、祖母ちゃんと一緒にイナゴ捕りに行ったことがあるんだけど、強烈だったなぁ。

 「祖母ちゃん、どれくらい捕れた?見せて!」って、自分がたくさん捕まえた頃に、祖母ちゃんに近づいて行くの。「勇三、えっぺ(いっぱい)捕まえたなぁ」って褒められたくて、見せてあげたくて、そのフリね。

 でも、祖母ちゃんの袋の中を見たとたんに、そんな欲求が吹っ飛んだ。だってさ、カマキリやら、コオロギやら、バッタやら、ごちゃ混ぜ!

 「それ、イナゴじゃないじゃん!」

 「何言ってるだ!みーんな食べれるんだよ。」

 明治生まれは違うね。別格。

 「えぇ?僕、絶対食べない!」

 「お前は祖母ちゃんのものは何でも食べねぇ!ごむさく(汚く)ないんだよ!!」

 出た。祖母ちゃんの被害妄想。そりゃ子供がさ、一回チョコ食べたら、そっちを欲しがっちゃうよね。汚いとか、そういう問題じゃない。祖母ちゃんがくれる菓子って、煎餅ばっかなんだもん。でも、たまにチョコ買ってくれるとさ、喜んで食べてたよ、うん。

 でも、カマキリとコオロギは、やだ。

 
 そして、食卓に並びました。


 昨年、実家に帰っても、イナゴを食べることはありませんでした。まあ、ちょっと帰った時季が遅かったんですが。それでも、冷凍でとっておいて、正月に食べるのも珍しくなかったんですよ・・・

 捕るのをやめたわけではないんですって。

 
 イナゴが田んぼにいないんですってよ・・・

 

 

 

 


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